2014年12月31日水曜日

病名がつかない「からだの不調」とどうつき合うか (ポプラ新書) 津田 篤太郎 (著)

【由来】
・確か図書館の新書アラート

【期待したもの】
・「病名がつかないからだの不調」というのは確かにある。そんな自分の体の状態に関する知見が得られるのであれば。

【ノート】
・病名は、実はひとくくりに決められるものではない。あくまでも「状態」なのであり、したがって、完全に「病気」がない状態というのもない。

 タイトルに対する期待感からすると、何となく医者の言い訳が陳述されているという印象がないでもないが、実はその印象にこそ、我々、患者/受診者側の勘違いが潜んでいる。診断結果として病名が宣告され、それに合った薬がもらえればそれで安心するの?それでいいの?と問いかけられているように感じた。
 西洋と東洋の治療の違いなども概説しつつ、「治療とはどのような行為か」に言及し、医療にできることとできないことや、今の治療の仕組み、プロセスを説明することによって、「病気かも?」「何の病気?」という自分の不安感や医者とうまくつき合うための考え方を提示してくれる本。これからどんどん増加していく「高齢化世代」に片足をつっこんでいる自分にとって、「困った患者」にならないための視点を提供してもらった印象です。

・西洋医学は、分断された局所的、戦術的な治療に有効で、東洋医学は人体のネットワークを視野に入れた戦略的な治療。

・上工は「未病」を治し中工は「己病」を治すと言うが、医者を盲信するのではなく、上手に活用しながら、未病を意識して付き合うのがよい。

【目次】
第1章 なぜ病名がわからないのか
第2章 医師はどのようにして診断をつけているか
第3章 現代医療にできること、できないこと
第4章 よくわからない「不調」とのつき合い方
第5章 患者は医師とどうつき合えばいいのか

イギリスの情報外交 インテリジェンスとは何か (PHP新書) 小谷 賢 (著)

 第2次世界対戦前夜のイギリスのスパイ活動がどんなものかと思って読み始めたが、スパイと言うより、シギント(盗聴や暗号解読)を中心とした相手(この場合は日本)の外交的意図の把握と、世論操作によるプロパガンダによる相手の牽制が、どのような内情により、どのようなタイミングで行われ、それがどのような結果につながったが説明されている本だった。インテリジェンスを伴うことによって、いかに英外交が国力以上のものを引き出して問題を解決していったかということが、日米英の当時の資料を照合して紹介されている。

 当時、バトル・オブ・ブリテンでドイツと交戦状態にあったイギリスは、アジアにおける日本の拡大路線に警戒を抱きつつも、日本とも交戦することになれば国の存亡の危機であるという認識を持っていた。そこでイギリスは、不介入を基本路線とするアメリカを何とか引きずり出そうとする。そのために、日本側の電文を解読し、タイミングよく、日本に牽制をかけたり、アメリカに情報を提供することで、時間稼ぎをしながら英米共闘路線を築き上げていった。暗号も、解読されてしまっては、どうしようもなく手玉に取られるだけ。とは言え、政府組織だって一枚岩ではないため、外部の人間が見たら矛盾するやり取りが飛び交うこともあるので、暗号電文を入手したからと言って、それだけを全ての判断根拠にするわけにはいかないが。
 なお、この時、ドイツの暗号エニグマを解読したのが、コンピューターの父であるアラン・チューリング。同性愛者であった彼は最近になって名誉を回復され、彼の名を冠した研究機関が立ち上げる予算が計上された(http://www.wiley.co.jp/blog/pse/?p=27651)。

・イギリスにおいては、外務省が強硬姿勢で、軍部が控えめだったというのが新鮮だった。それほど当時の日本軍が強かったのか。こういうのって、大抵は軍人が大義名分を振りかざして強硬路線を主張するという先入観があったのだが。
 「もし半年でも早く日本がイギリスを攻撃していたならば、大英帝国は崩壊していたかもしれない(P244)」という一文は新鮮だった。日本軍って、そんなに大英帝国に肉薄してたのか。
 また、入手した情報が、限られた関係者だけに配布されるのではなく、関わりのある部局関係者に広く配布されるというのも興味深かった。防諜の観点からは望ましくないが、それでもメリットとデメリットを比較したら、メリットの方が大きいと認識されていたということだ。

・「一般に政策決定者が情報を選別し始めると、どうしても自らのイメージに沿うような情報を抽出しがちになるという弊害が生ずると言えよう。前述のようにいくつかの情報は日本が英米との関係改善を望んでいることを示唆していたが、既に英外務省や戦時内閣にとって日本との関係改善は現実的な路線とは映らなかったのである。(P214)」 これはチャーチルが現場からの情報を自分自身で目を通していたことに対しての著者の記述。ちなみにフォークランド紛争の頃のサッチャーもインテリジェンスについては、同じ姿勢を取っていたらしく、それがフォークランドへの素早い原潜の派遣決定につながったらしい。やはりイギリスという国は、その国力をヘッジするという観点から、インテリジェンスに対する意識が、伝統的に高い国なのだろう。

・なお、この著者、ちょうどタイミングよく、今読んでいた「外交」の2014年の9月号にも執筆してた。

2014年12月6日土曜日

じゅうぶん豊かで、貧しい社会:理念なき資本主義の末路 (単行本) – ロバート&エドワード スキデルスキー (著)

 かつてケインズは、経済活動の発展と共に富は社会に行き渡り、労働時間は短縮し、豊かな生き方に時間を使える社会が到来すると予言した。しかし、現実ではそうなっていないのはなぜか。著者らは、ケインズすら暗黙のうちに認めた、「一定のラインに到達するまでは金儲け主義でもいい」というパラダイム(「ファウストの取引」)が変質して目的化したことを理由に挙げる。これは、欲望、貪欲にも通じる。
 また、「幸福」という概念が曖昧模糊としており、豊かな生き方の基準たり得ないことも論証してみせる(あんまり論証された感がないけど)。そして「7つの基本的価値」が、その基準たり得ると主張する。いわく、1.健康、2.安定、3.尊敬、4.人格または自己確立、5.自然との調和、6.友情、7.余暇。
 また、それを実現するための政策として、ベーシック・インカム制度の実現と、広告が欲望を刺激するため広告税を導入することを提案している。

 著者はケインズ研究で有名らしいのだが、本書では、かつての資本主義が持ち合わせていた道徳感や倫理、そして「幸福」という概念についての検証を行っているため、古代ギリシャから現代の哲学までが視野に入っている。しかし、近現代以降の哲学に関する言及は付け焼き刃感が拭えないというのが率直な感想。また、文明批判のレトリックが、すこぶるアドルノを思わせるものだったこともあり、少しチグハグな印象を感じた。

 結局、これまでの「科学的」な態度では資本主義の肥大化・暴走を制御することはできないから、エイヤ!で、規範を立てましょうということか。「7つの基本的価値」について、「この種のリストはそもそも正確にはなり得ないものであり、誠実な不正確のほうが、偽りの正確性を追い求めるよりよいと信じる(P220)」との記述があるが、これは、従来の議論の作法では行き詰まってしまうから、その路線は採りませんという開き直りの表明だろう。言ってみれば、この開き直りに説得力を持たせるために、約200ページを割いて、これまでの経済学、社会学、哲学の議論を、検討してはダメ出し、ということをやってきたと言える。

 そんなわけだから、現行科学のパラダイムを脱構築しようとする宣言の書と取ることもできるし、経済学の意匠をまとった「あいだみつを」と取ることもできる。

 なお、「金だけは『これだけあれば十分』というのがない」というのが最初に提示されるテーゼなのだが、これは佐藤優も、色々な著作で述べている。例えば「人に強くなる極意(青春新書)」で「いくらあっても満足が得られないのがお金の本質(P144)」と言い、「資本主義がそのエゴをむき出しにしてくる(P153)」と記しているし、資本論を解題しながらもう少し丁寧に議論しているのが「はじめてのマルクス」だ。

【目次】
第1章 ケインズの誤算
第2章 ファウストの取引
第3章 富とは-東西の思想を訪ねて
第4章 幸福という幻想
第5章 成長の限界
第6章 よい暮らしを形成する七つの要素
第7章 終わりなき競争からの脱却