2015年9月22日火曜日

丸山眞男と田中角栄 「戦後民主主義」の逆襲 集英社新書 佐高 信 (著), 早野 透 (著)

 丸山眞男と田中角栄を、戦後日本の上半身と下半身と位置づけた対談。

「(佐高)丸山さんが知性によって戦後民主主義の原点を提示したとすると、角栄は肉体によって、草の根というものの在り処を表現し続けた。それはやはり彼らの戦争体験からずっと続いていたのだと思います。まさに早野さんのおっしゃる戦後日本の上半身と下半身ということですね。 (P39)」

 自分にとっては、田中角栄というのは毀誉褒貶が激しい人で、どちらかと言えばマスコミの言説にならって、悪徳政治家というイメージを植え付けられている。それでも週刊プレイボーイなんかで若者人気ナンバーワンみたいな特集が組まれていたのを覚えている。

「(早野)民主主義とは常に求め続けるもので、不断に闘い取ってこそ民主主義だということを、丸山先生は言い続けた。そういう意味では、角栄は理屈よりも行動で民主主義を表現し続けた人だったから、丸山眞男的デモクラットと言えるかもしれない。 (P98)」

「(佐高)国家をプラグマティックに捉えて、国家を可塑性のものだと考える。国家の役割を、平和と福祉に限定し、人びとの内面には入らないといことですね。タカ派というのは倹約国家なんです。倹約国家論は制約が入り、統制に向かう。生き方を制限するわけです。とろこがハト派の角栄や池田勇人、石橋湛山は、倹約国家論ではない。平和と福祉に国家を限定して、どう生きるかについては国家や政治は介入せずに、一人一人の国民に託す。いまの安倍に連なる系譜は、必ず倹約とかを言い出す。それは生き方を抑圧してくるんです。 (P182)」

 本書を読んでいると、最近の我が国における民主主義の危うさのようなものを強く意識する。
 なお、本書では対談者同士の掛け合いもなかなかに軽妙で、それもまた読み進める楽しみの一つだった。

2015年9月6日日曜日

日本の大問題 「10年後」を考える ─「本と新聞の大学」講義録 集英社新書 一色 清 (著), 姜尚中 (著)ほか

 「佐藤優(第2回 反知性主義との戦い)」と「堤未果(第4回 沈みゆく大国アメリカと、日本の未来)」に惹かれて興味を持った。ただ、この二人の内容は他(主に自著)で話してる内容と重複するものばかりなので、既読だったら本書を読む意義は薄くなる。

 「第3回 高齢化社会と日本の医療(上昌広)」は、高齢者が増えるこれからの日本で医療従事者が全然不足してしまうという問題意識について語ったもの。教育機関への補助金を住民数で割ると明らかな差異があり、京都と埼玉での金額差は何と30倍!ただし、これは学部や講座、そして関連する研究施設の数なんかも考慮に入れる必要があると思うので、少しアオり気味?
 ただ、補助金額が全国3位の徳島県(ちなみに2位は宮城県だそうな)は大塚製薬、日本ハム、ジャストシステムを生んだ土地であり、現在でも住人一人辺りの医師数が日本一多いそうで、ある程度の相関はありそう。

 「第7回 2025年の介護:おひとりさま時代の老い方・死に方」は上野千鶴子。軽妙で、それでいてブラックな部分をゲラリと(そんな日本語はないけど)刺してみせるのが面白かった。

 自分にとっての本書での一番の収穫は宮台真司の「第5回 10年後の日本、感情の劣化がとまらない」。他の回が30ページ前後なのに対して、この回は倍の60ページなので、ボリュームとしても読み応えは一番。ネトウヨなどを題材に、日本における感情の劣化を取り上げ、新たな感情の共通基盤を社会としてインストールするには「不可能性の不可避性」と「見えないコミュニティ化」が大切な概念になると論じている。

 1つ1つがそれほど長くないので読みやすい。人口減少問題を起点に、少子化と高齢化の両方に関連するテーマが収録されており、大学をはじめとするこれからの教育機関のあり方についても触れられている。知り合いの大学の先生は顔ぶれが気に入らないと言っていた(笑)。

【目次】
第1回 基調講演(一色清、姜尚中)
第2回 反知性主義との戦い(佐藤優)
第3回 高齢化社会と日本の医療(上昌広)
第4回 沈みゆく大国アメリカと、日本の未来(堤未果)
第5回 10年後の日本、感情の劣化がとまらない(宮台真司)
第6回 戦後日本のナショナリズムと東京オリンピック(大澤真幸)
第7回 2025年の介護:おひとりさま時代の老い方・死に方(上野千鶴子)
第8回 総括講義(一色清、姜尚中)

小説 仮面ライダーブレイド 宮下 隼一 (著)

 平成ライダーの中でブレイドもかなり好き。本書では番組の300年後の世界が描かれるというので、期待値は大きかった。始も剣崎もアンデッドだから、生きてても不思議はないわけだし。

 しかし読み始めてみると相変わらずひどい。文章は読みづらいし、展開もご都合主義(そう感じるのはひどい文章のせいもあると思うが)。脚本家が小説を書くって、こんなもんなのか。この「小説仮面ライダー」シリーズの文章のクオリティの低さを何度も経験すると、そういうフィルターが自分の中でにできようというもの。

 それでも、剣崎と始の再会があるだけで許してしまう(もう少し盛り上げてほしい気もしたけど)。それに、剣崎がアンデッドとして300年の間に体験した絶望の記述にはちょっと圧倒された。死への渇望を抱いたアンデッドが戦場に身を置きたがるという設定も無理はない。ただ、あのモノリスみたいな石版に無理矢理な設定をつけたのは、自分達がテレビで作り上げた世界観を自らの手で汚したことになるんじゃないかと思うが(著者はブレイドの脚本家)。