2014年2月22日土曜日

うな丼の未来 ウナギの持続的利用は可能か [単行本(ソフトカバー)] 塚本勝巳 (著), 海部健三 (著), 鷲谷いづみ (著), 勝川俊雄 (著), 田中栄次 (著), 黒木真理 (著), 田中秀樹 (著), 東アジア鰻資源協議会 日本支部 (編集)

 小さい頃から魚が食べられない。強制的な矯正措置は取られたが、嘔吐してしまうぐらいだったので、結局食べられないまま今に至っている。ただ、魚介類が全くダメかと言うと、特殊な例外がある。例えばカマボコや魚卵系は大丈夫だし、タコ、イカもOKで、エビ・カニは苦手だが、食べられなくはない。また、これは北海道に来てからだが、刺し身は、所謂「光物」以外は結構食べられるようになった。加えて、ウニ、牡蠣は大好物になった。さらに、鮎とししゃももOK。これまでに、この嗜好の傾向を理解してくれた人は皆無である。
 ウナギも自分にとっては言わば「こっち側」。関西風だと生臭くてダメだが、関東風ならOKで、しかも、すこぶる好物の部類に入る。ウナギは家内の大好物でもあるのだが、今や絶滅危惧種に指定されており、どんどん減少していく流通量とどんどん高騰していく価格に心を痛めていたところで本書の存在を知った。
 ウナギは、その生態が謎に包まれているとのことで、養殖も難しいらしい。稚魚に何を食わせると健やかに成長するのかというのも解明されてはいない。本書で報告されている例では、サメの卵を粉末にしたものがOKらしいが、それもある時期までの話で、その段階を過ぎて成長すると食べなくなってしまうらしく、難しいようだ。

 本書は学際的なシンポジウムでの発表や討議内容をまとめたもの。この手の報告というのは大抵面白くなくて、環境省や水産庁など、官公庁も参加したものとなると、さらに面白くないことが多い。しかし、本書は面白かった。これは「うな丼」が皆の念頭にあるからじゃないだろうか、タイトルも「うなぎの未来」ではなくて「うな丼の未来」というところがキモだ。「うな丼が食べられなくなるかも」という危機感はリアルで切実なのであって、それがこのシンポジウムを面白くしたものと思われる。水産系の学者、環境系の学者にはじまり、蒲焼協会やら鰻協会の人、マスコミ関係者まで巻き込んでの討議は、ウナギをとり巻く多様な立場の人たちの意見を一望できて興味深い。
 自分が最も共感したのは「安いウナギではなく、ちゃんとお金を払って、職人が調理するうなぎを、ご馳走として食べてください」という全国鰻蒲焼商組合連合会(全蒲連)の発言だ。
 今や、吉野家が¥1,000以下でうな丼を扱ったりしているが、これは悪しき資本主義の行進なのであって、日本のうな丼文化を蹂躙することに直結するだろう。再びの引用だが、「はじめてのマルクス」で佐藤優が「経済合理性に反する行為をあえてする(P113)」と言っているのを、自分の具体的な行動の指針としてよいのではないか。タレでそれっぽさを演出しただけの、東南アジアの工場からの加工食品を乗せただけのうな丼を安価でいつでも食べられることと、お店で職人が作ってくれる本物のちゃんとしたうな丼を1年に2〜3回、奮発して食べられることと、どちらが幸せだろうか。

2014年2月15日土曜日

問答有用―中国改革派19人に聞く 吉岡 桂子 (著)

・中国の体制側にいる人や体制の反対側にいる人たち19人へのインタビュー集。中国にも、ちゃんと事態を冷静に見て、考えて、発信する人がいるという、当たり前のことを伝えてくれる本。昨今の報道にノせられて、中国の反日攻勢に辟易していた自分には、そんな当たり前のことでも貴重な視点だった。
 考えてみれば「中国で大規模な反日デモがあった」というのはニュースとして報道しやすいが、そんな反日デモを、体制側の結構な地位にいる人が憂慮を表明したところで、それがニュースとして報道されるわけではない。結果として、ネガティヴでセンセーショナルな出来事だけがニュースとして報道され、それに接している我々の視点も、バイアスがかかってきてしまう。本書を読むことによって、そんなバイアスを確認できたのは幸いだったが、読まなかったら、バイアスがかかったままだったんだろうな。

折れそうな心の鍛え方 (幻冬舎新書) 日垣 隆 (著)

・ガッキィこと日垣隆は、陰湿な自己顕示欲が文章の端々に感じられることがある。ネットではそのエキセントリックな言動のせいで色々と叩かれてるみたいだが、一方では小飼弾氏のように高く評価している人もいる。自分的には、自分の中にもあるトホホな成分を彼の文章から強く感じてて、以前はそれが鼻についてイヤだったが、最近は少し親近感を持って眺められるようになった。

・本書はガッキィさんがウツ病にかかった時の経験をもとに、心を回復させる考え方やら具体的な方策、果ては「泣くための」映画ガイドまでついているという、なかなかにごった煮な構成。自分が興味を持ったのは、決して、現在、心が折れそうな精神状況だからということではなく(笑)、ライフハック的なアイディアが散見され、その中には、佐藤優さんの本にも通じるものがあったりしたからだ。いわく「ちょっと難しい課題を引き受けて『自分の器』を大きくする(P104)」のように。また、「これまで楽しかったことが楽しくなくなってきたら鬱病の兆候」とあったが、これは、自分が何度も読み返しているD.アレンのGTD本でも言及されていることと通底してたりする。ただし、マスター・アレンのそれは鬱病云々ということではなかったが。

・ちょっと自分が疲れてるな、という時にパラパラめくって、気になった箇所だけを読んでみると、よいヒントになりそう。ちなみに、ほぼ日手帳のユーザーであることと、巻末の映画リストに「ギャラクシー・クエスト」が入っていたのが自分的には高ポイントだった。

・脱線するけど、ギャラクシー・クエストはスター・トレックのパロディ映画。でも、単なるパロディではないんだな。残念感満載なスター・トレック風テレビ番組「ギャラクシー・クエスト」。熱狂的なファンに支えられてはいるけど、その数も決して多いわけではなく、地方ドサ回りのファンイベントをモチベーション低くこなしているキャストの皆さん。その番組の電波をはるか彼方の宇宙でキャッチして、本当の話だと信じて感涙にむせび泣いている宇宙人がいた!...というお話しなんだけど、何か、おバカっぽくてワクワクしない?いや、実際、途中までは悪ノリにも近いおバカっぽさで笑っちゃうんだけど、気づくと、最後には何と泣いてる自分がいるのさ!ガッキィさんのみならず僕もオススメします。amazonのレビュー見ても分かります。

2014年2月13日木曜日

本当に役に立つ「汚染地図」 (集英社新書) 沢野 伸浩 (著)

【ノート】
・タイトルとしては「汚染地図」を掲げているので、GIS入門書的な内容を本書に期待する人は少ないだろう。でも、実は本書は入門書的な性格を多分に持っていて、GISの基礎知識を吸収/再確認できるし、幾つかの基本的な分析手法についてのちょっとした概説もあったりする。「入門書」と言うと、背景やら歴史やら用語の解説が書かれおり、手っ取り早く、対象についての概要や活用例を知りたい時にはまわりくどい。だからと言って、基礎知識がなければ、事例集や応用例を見ても理解できないだろう。本書は、その両者を概観的に新書のボリューム内でカバーしている。どちらも中途半端なのだが、結果として、GISをについて詳しくない読者が、GISの活用シーンについての大雑把な展望を得ることができるような構成になっている。そんなわけで、GISを既に使っている人にとっては色々と中途半端な本なのだが、狙ってなのか結果オーライなのか、GISに詳しくない初心者にとってはちょうどいい構成に仕上がっているように思える。

・本書の構成は、福島の原発事故を中心に、著者が携わってきた事例について、GISを軸に概説しながら紹介するという体裁をとっている。結果として、本書は3つほどの重心を持つことになった。つまり
 1)GISについての概説
 2)簡単な分析手法の紹介とその現場のチラ見せ
 3)GISを活用していく提言

・雑誌の書評で本書が取り上げられており、「GISというツールを使い」と書かれてて、そんなド直球な名前のGISツールがあるのかと興味を持ったのが本書を読もうと思ったきっかけ。結局、書評者がGISについて知らなかったというオチだったようだけど。

・ちなみに、本書内で紹介されているツールは2つだけで、gvSIGとqgis。ArcGISという、デファクトスタンダードなGISソフトの影がチラチラと垣間見えるが、「高価なソフトでは1時間ほどかかる1万個のポリゴンディゾルブがgvGISでは10秒でできてしまう」なんて書き方からすると、OSS推しというのが著者のスタンスらしい。最初の取っかかりに少し馴れが必要なのは、高価なGISソフトでもOSSなGISソフトでも変わらないのだから、まずはOSSを触ってみるというのはアリでしょ。ちなみに、データさえ作れれば、GoogleMapやGoogleEarth、そして、我らが国土地理院の「電子国土Web. NEXT」なんかでも、結構なことはできるものです。

2014年2月11日火曜日

独裁者のためのハンドブック [単行本] ブルース・ブエノ・デ・メスキータ (著), アラスター・スミス (著), 四本健二 (翻訳), 浅野宜之 (翻訳)

・タイトルからすると、人を支配するためのノウハウが書かれている本かと思うが、内容としては、政治的権力者の内在的理論について分析した本。  例えば、自然災害などによる世界からの善意の義援金などは独裁国家にとっては格好のたかり対象。あえて国民を救出せず、その救出を名目に援助金を釣り上げる。この手口は開発援助でも使いまわされる。民衆に届くことはなく、援助する側も実はそのことを把握しているが、独裁者が自分たちの意向に沿う政策を取っている限り、別に構わないというスタンスだったりする。そして、そんな「援助する側」の姿勢は、我々の姿の反映でもあるってところを忘れちゃいけない。「我々は西アフリカや中東の本当の変化よりも、安い価格の原油を求めているのである。したがって我々は、リーダーが我々の希望することがらを実行しようとするのに対して、不満を言うべきではない。これはつまるところ、民主主義とはこのようなものだ、ということを示している。 (P254)」
・独裁者は、少数の「かけがえのない盟友(他にもっとしっくりくる日本語はないのかな?)」に、ケチることなくおいしい思いを保障しておくことがポイント、という基本構造が一貫して主張されている。そして、この「かけがえのない盟友」という支持基盤が少数の取り巻きというレベルではなく、多数になればなるほど、構造的に民主主義に寄っていくことになる。民主的社会であれば「独裁者」ではなく「リーダー」と呼び名が変わるが、抽象した構造は、実は似通っている。また、オリンピック委員会やFIFAなんかも「独裁者と少数の盟友」によって運営されている組織として引き合いに出されている。
・実際の独裁者のエピソードを例として解説されていて、面白く読める箇所もあるんだけど、訳が少し読みづらくて、自分にとっては読み通すのがキツかった。ちなみに、独裁者のためのルールは以下の5条だそうです。
・ルール1 盟友集団は、できるだけ小さくせよ ・ルール2 名目上の集団は、できるだけ大きくせよ ・ルール3 歳入をコントロールせよ ・ルール4 盟友には、忠誠を保つに足る分だけ見返りを与えよ ・ルール5 庶民の暮らしをよくするために、盟友の分け前をピンハネするな (P69)

政府は必ず嘘をつく (角川SSC新書) 堤 未果 (著)

 たまたま大丸の三省堂書店に、佐藤優と並んで本書が平積みされていたのが目に止まった。堤未果は岩波新書の「貧困大国アメリカ」シリーズを面白く、と言うか、空恐ろしく読んだ。本書でも主たる対象はアメリカなのだが、一国というよりも、その背後にあるグローバリズムを推し進める「1%」陣営を意識した記述となっている。

 「財界の思惑に押された政府やマスコミ、自由貿易推進者たちは、数十年前からずっと同じことを言って国民を欺いてきました。海外から安い製品が山のように入ってくる、支払額が減って皆ハッピーだろう?と。ですが彼らは、その安価が連れてくるもうひとつのコスト、この国の経済を根底から破壊するもうひとつの高いコストについては決して言及しないのです。(P78)」 その「高いコスト」とは、分かりやすく言えば「国内産業の空洞化」だ。円高の時に流行したこの言葉、最近ではめっきり耳にする機会が減ったが、それはもう空洞化がかなり進行してしまったからなのかも知れない。札幌の狸小路ではシャッターが降りたままの店が増えていっている。昔からあった古参の本屋が店じまいをする。これは随分と地域の卑近な例ではあるけれども、通底しているものは同根だろう。「便利だから」「安いから」というだけで近所のお店や産業が倒れていってもいいのか。ちなみに、ある友人は、「それはもう仕方ないよ、もう止められないもん」と即答した。だが、「ブタとおっちゃん」を読んだ時にも感じた時のように、そこを自分たちの選択で変えていけないのだろうか。それは例えば、可能なかぎり、amazonでなくて紀ノ国屋で買う、あるいは札幌なら玉光堂で買う。吉野家で300円で済む昼食を、定食屋の680円のものにする、というような感じで。これは「はじめてのマルクス」で佐藤優が「経済合理性に反する行為をあえてする」と言っていたのと通じる。

 カダフィ時代のリビアでは国民は電気料金の請求書など見たことがなく、アフリカで最も高い生活水準を誇っていた。にも関わらず西側メディアは歪んだカダフィの独裁政権像だけを流す。 「カダフィが残した功績は、あなた方が西側メディアから見聞きしたような、国民の犠牲の上に立つ専制君主国家ができることではありません。もちろん、他の国と同じように全く問題がないわけではなかったでしょう。ですが、外国の軍が上空から2万回もの爆撃を行うような軍事行動が、正当化されるような事態は一切なかった。リビアは、どんな行動も騒乱に結びつくことのない、珍しい国でした(P116)」というインタビューも掲載されている。ただし、この相手はリビア人ではないが。

 アルジャジーラもリビア報道については同じ歩調で、カダフィを追い込んだ。アルジャジーラに対しては、何となく信頼できるというイメージを持っていたけど、これも幻想だったらしい。「アルジャジーラの代表であるワダー・カンファー氏は、告発サイト『ウィキリークス』にかかってCIAの部下だったことを暴露されて辞任しています」  そして、アルジャジーラまでもが結託してカダフィを標的にした理由はフセインの時と酷似している。「リビアは144トンもの金を保有していました。カダフィはその金を原資に、ドルやユーロに対抗するアフリカとアラブの統一通貨・ディナの発行を計画していたのです。そこにはIMFや世界銀行の介入から自由になる<アフリカ通貨基金>と<アフリカ中央銀行>の創設も含まれていました。(P122)」

 政府やメディアからの情報は信用できない可能性が高いという前提で受け止め、「多角的に集めて比較し、過去を紐解き、自分自身で結論を出すこと(P212)」。これは押井守が「コミュニケーションは要らない」で最後の結論部で主張していることと同じだ。「ひとまず信じない」で判断を保留する。
 また、「政府」と言っても、その背後に誰がいるのか(陰謀論ではなく、圧力団体なりロビー活動を展開している組織は普通にいる)ということまで考えないと、なかなか自分なりの本当の結論に辿りつけないだろう。ヤン・ウェンリーが言った通り、民主主義とは面倒くさい。でも、その面倒くささが存在できていること自体が、民主主義の価値の一つだろう。

2014年2月2日日曜日

個人的なユニクロ主義 柳井 正 (著), 糸井 重里 (著)

 糸井重里はまえがきの中で、これまでのビジネス本は「常識の書」か「娯楽の書」だったと分析している(ちなみに本書の出版は2001年。この本が出版される2ヶ月ほど前にD.アレンのGTD本が出版されている)。この分析は、ビジネス本というのは読まれても実際に実践されることが少ないという批判的な解釈から出てきたもののように思える。その視線が出版する側に向けられているのか読む側に向けられているのかは分かりづらいけど、「『(「チーズはどこへ消えた?」を引き合いに出して)あのくらい丁寧にしないと、ものごとって、ほんとうに伝えることはできにくいんだなあ』と、このごろ考えているんです。 (P17)」という一文からすると、理解能力(あるいは実践能力?)の低い読者に対して向けられているのかも知れない。

 本書は、実践につながる、つまり、読者の腑に落ちるような「なまもの」の話をユニクロの柳井社長から聞き出すというもの。結果として、数多くあるビジネス書とは違った印象の対談本になっているが、煎じ詰めていくと、「覚悟を決めるのが大事」ということが語られているだけ。そんなわけで、読後感としては肩透かしをくらった感じで(ページ数も少ない)、全体の1割をまえがきに割いて、本書の立ち位置を強調したりしてたのに、何だかなあ、と最初は思った。

 でも、そこで少し考えてみた。

 大量のビジネス本で方法論やらTipsやらが開陳されているが、それを実践に移せない最大の壁は何だろう?それは「他人事」ということになるのではないか。「他人事」とは、例えば柳井さんは自分にはマネのできない努力家だった、孫正義氏は若い時から頭がよくて自分なんかとは違う行動力を持っていた…。つまり、「あの人たちと自分は違う」と思考停止してしまうということなのではないか。そして、本書が伝えようとしているのは、そうではない、ということなのだ。
 だから本書では、将来の目的もなくダラダラと麻雀なんかをやって暇つぶしをしていた柳井さんや糸井さんの学生時代の話が妙な力点を持って語られているのだ(お二人は1歳違いの同世代)。昔から目的意識を持ってバリバリ合目的にやってたわけではない、自分たちと変わることのない、大勢の中の一人だったということからのスタートだということが強調されているのだ。そして組織論だとか交渉術、マネジメント論やマーケティング論などに言及するのではなく、それらの源泉は「この職業で一生やらないといけないという覚悟(P107)」から発しているだけだというのが、本書のコアなのだ。
 「覚悟してやりさえすれば、みんなけっこういい線いくんじゃないかと思いますけれどもね。(P107)」というのは、サラッと読むとテキトーな放言のように思えるが、これは柳井さんの、きっと本音なのだ。そして、このことは、糸井さんが同年7月に出版した「インターネット的(PHP新書)」で言及していた「立候補する」、つまり、大変になるのを「覚悟」の上で当事者として状況に関わっていく、ということと通じている。だからこそ、糸井さんはほぼ日ブックスのローンチタイトルをこの本にしたんじゃないかなと感じた。

 サラリと読めるんだけど、色々と能動的に考えるきっかけを与えてくれた本だった。

ブタとおっちゃん 山地としてる (著)

・香川県のある養豚家を撮影したモノクロの写真集。一度は見てみてほしい。家畜として飼育されてるブタとおっちゃんの、家族のような生活を。

・養豚場だから最後は食べちゃうんだよね。そのために育ててる。でも、何なんだろう、この、写真から伝わってくるブタとおっちゃんの関係っていうのは。実は、読んでいる間、ずっと身構えてた。結局、食肉なんだから、どこかで屠殺などの写真が出てくるんじゃないかと。でも、最初から最後まで、徹頭徹尾、幸せそうなブタとおっちゃんの写真ばかりだった。

・これは「銀の匙」よりも心に残る。最近はグローバリズム侵食による農業の恐るべき効率化が進んでて、家畜も生物としてではなく工業製品のような管理をされるようになっている(この辺りは堤未果の「(株)貧困大国アメリカ」に詳しい)。これがなければ牛丼1杯280円なんて無理。だからと言って、それでいいのか?という気持ちも最近は強い。倍の値段でもいいから、効率至上主義じゃない酪農家さんが育てた牛の牛丼を食べようというのもアリなんじゃないだろうか。でも、そんな気持ちになった時、そんな牛肉を提供できる酪農家さんは絶滅しているかも知れない。もしかしたら、この写真集に描かれているような生産者は世界中のどこからも駆逐されているのかも知れない。10年後、この写真集は、家畜の飼育として、あり得ない奇跡の記録になっているかも知れない。

・なお、この「おっちゃん」は体調を崩して、もう養豚場をたたんだらしい。