【要約】
・生物や非生物が織りなす音像は、音楽的であり、その場所の生態系についての多くを示す。ここで「音楽的」というのは、そもそも人類が音楽を獲得したのは自然のサウンドスケープからという意味と、サウンドスケープの構成がオーケストラと似通っているからという意味の、2つの側面からである。
【ノート】
・世界はこんなに面白い音で満ちている、という博物的な内容を期待して読み始めたのだが、そうではなかった。確かに面白い音源の紹介はされているのだが(Webとの連動もあって興味深く聞ける)、本書の主眼は、生物による音場(バイオフォニー)と非生物による音場(ジオフォニー)によって構成されるサウンドスケープが音楽的であるということ。
・そのサウンドスケープが音楽的にどう評価できるかという分析が主眼というわけでもない。人類がバイオフォニーやジオフォニーから音楽を獲得したという仮説が人類学的な事例と共に紹介されている。この仮説は完全な証明には至っていないまでも、発想の逆転であり、新鮮に感じる。
・音像を周波数域で分析し、その豊かさによって、その土地の多様性を把握することができるというのも環境保全の観点から興味深いアプローチだった。まさに土地の声紋となるわけだ。人間が介入して環境汚染や生態系の破壊が行われた後に、音像の豊かさが明らかに減少していることを示す具体的なデータも提示されており、音像によって、写真以上にごまかしのきかないスナップショットを記録できるというのは、一度試してみたい手法だ。さらに、チェルノブイリでは、事故直後と現在とでは明らかにバイオフォニーの豊かさが復元しているという事例紹介もあった。これって「地球にとって人類こそが癌」ということでしょうか、東方不敗先生!?しかし「人類もまた地球の一部」だよね、ドモン・カッシュ!
・生き物たちが自分たちの周波数域にはまり込んでいくという「ニッチ理論」というのがある。それぞれの生き物は、それぞれの理由で、音によってそれぞれの周波数域を探って入り込んでいき、占有している。そして、それは人間の介入による音(アンソロフォニー)によって均衡を崩してしまう。思った以上に繊細であり、その繊細さというのが、単なるロマンチシズムではなく、生物種間の捕食行為に関連するからという説明も腑に落ちる。ただ、バイオフォニーとジオフォニーに対するアンソロフォニーの位置付けが排斥的な印象を受けた。両者が融合するとさらに面白いのではないかと思うのだが。
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