かつてケインズは、経済活動の発展と共に富は社会に行き渡り、労働時間は短縮し、豊かな生き方に時間を使える社会が到来すると予言した。しかし、現実ではそうなっていないのはなぜか。著者らは、ケインズすら暗黙のうちに認めた、「一定のラインに到達するまでは金儲け主義でもいい」というパラダイム(「ファウストの取引」)が変質して目的化したことを理由に挙げる。これは、欲望、貪欲にも通じる。
また、「幸福」という概念が曖昧模糊としており、豊かな生き方の基準たり得ないことも論証してみせる(あんまり論証された感がないけど)。そして「7つの基本的価値」が、その基準たり得ると主張する。いわく、1.健康、2.安定、3.尊敬、4.人格または自己確立、5.自然との調和、6.友情、7.余暇。
また、それを実現するための政策として、ベーシック・インカム制度の実現と、広告が欲望を刺激するため広告税を導入することを提案している。
著者はケインズ研究で有名らしいのだが、本書では、かつての資本主義が持ち合わせていた道徳感や倫理、そして「幸福」という概念についての検証を行っているため、古代ギリシャから現代の哲学までが視野に入っている。しかし、近現代以降の哲学に関する言及は付け焼き刃感が拭えないというのが率直な感想。また、文明批判のレトリックが、すこぶるアドルノを思わせるものだったこともあり、少しチグハグな印象を感じた。
結局、これまでの「科学的」な態度では資本主義の肥大化・暴走を制御することはできないから、エイヤ!で、規範を立てましょうということか。「7つの基本的価値」について、「この種のリストはそもそも正確にはなり得ないものであり、誠実な不正確のほうが、偽りの正確性を追い求めるよりよいと信じる(P220)」との記述があるが、これは、従来の議論の作法では行き詰まってしまうから、その路線は採りませんという開き直りの表明だろう。言ってみれば、この開き直りに説得力を持たせるために、約200ページを割いて、これまでの経済学、社会学、哲学の議論を、検討してはダメ出し、ということをやってきたと言える。
そんなわけだから、現行科学のパラダイムを脱構築しようとする宣言の書と取ることもできるし、経済学の意匠をまとった「あいだみつを」と取ることもできる。
なお、「金だけは『これだけあれば十分』というのがない」というのが最初に提示されるテーゼなのだが、これは佐藤優も、色々な著作で述べている。例えば「人に強くなる極意(青春新書)」で「いくらあっても満足が得られないのがお金の本質(P144)」と言い、「資本主義がそのエゴをむき出しにしてくる(P153)」と記しているし、資本論を解題しながらもう少し丁寧に議論しているのが「はじめてのマルクス」だ。
【目次】
第1章 ケインズの誤算
第2章 ファウストの取引
第3章 富とは-東西の思想を訪ねて
第4章 幸福という幻想
第5章 成長の限界
第6章 よい暮らしを形成する七つの要素
第7章 終わりなき競争からの脱却
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