2013年2月11日月曜日

ウルトラマンマックス 視聴記-16(第25話)

第25話 「遙かなる友人」 ウルトラヒーローを超えた宇宙人

 思わずサブタイトルをつけてしまった。なにげに大傑作なんじゃないか。

 突然、不時着してきたネリル星人キーフの来訪を受けた普通の少年カケル。キーフが姿を現そうとした時にカケルが「癒し系でありますように」って祈るのがちょっと面白い。

 公園での人々の姿や「こんにちは」「ありがとう」のやり取りに感動するキーフ。「命の惑星なんだ」と早々にまとめを語ってしまうキーフ。こういうのって、最後の泣きクライマックス向けなんじゃないのと思いつつ、期待はふくらむ。帰るべき星が滅びてしまったというキーフの話に共感して思いやるカケルの姿がサラリと描かれているのもよい。それにしてもキーフの言語の習得能力、メチャ高いな。

 自ら宇宙人研究の実験台になることを望み、捕獲される、いや、この言い方は劇中に出てきた嫌味な科学者と同じになっちゃうな、自ら協力するキーフ。キーフのことを宇宙人としか呼ばない官僚的科学者に「宇宙人じゃない、キーフだ」と強めの口調で諌めるショーン、カッコいいじゃん!やはり初代マンのイデDNAは健在ということか。

 DASHとキーフとの間にも絆ができる。せっかくだから少しでも交流シーンがあるとよかったな。ショーンやコバの立ち振る舞いでも分かるっちゃ分かるんだが。

 「命の惑星」に感激して地球を好きになった、というレベルを上回るキーフの構想。宇宙人=侵略者では必ずしもなく、地球のことを好きになる宇宙人だってこれから出てくる、だって、自分はこんなに地球のことが好きになってしまったんだから。だから、宇宙人=侵略者じゃないという前例が地球には必要なんだとキーフは淡々と語るが、この発想は今までのウルトラシリーズにはなかったのでは?個人レベルでの友情や愛情が描かれたことはあったのだが、こんな壮大なビジョンを持ったキャラクターというのは思いつかない。ウルトラセブンの傑作の一つ、「盗まれたウルトラアイ」のマヤとダンの対話シーンで、地球のことを大好きなダンが「共に宇宙人としてこの星で生きていこう」と語りかけるシーンがあるが、これも、あくまでも「地球人の姿で」=「宇宙人であることを隠して」という前提。これから地球を好きになるであろう宇宙人の中には、自分のように地球人に擬態できない者もいるだろう。だから、彼らが、その姿のままで地球の人と仲良く暮らせる礎に自分がなりたいと語るキーフ。「僕はね、カケル、その最初の一人になろうと決めたんだ」。淡々と語っているが、実はウルトラシリーズ屈指のパラダイムが示されていると感じた。

 キーフの気持にはウルトラヒーロー達が地球を守るモチベーションと通底している部分がある。だからか、その正体を初対面時に看破していたキーフはカイト/マックスと相通じるものを感じていたように見える。だが、ウルトラヒーローにとって地球はPKO的な任務で赴く「任地」に過ぎない(ちなみにセブンはちょっと違う)のに対して、キーフにとっての地球は、正体を隠して幸せに暮らすだけでは足りないほど愛してしまった星、文明なのだ。

 ゴドレイ星人。ただの悪役として登場。その割にはちょっとイケてるデザイン。マックスでは夜間の戦闘シーンが多いのだが、これはライテイングの妙による「巨人感」を強調したいからではないかな。炎上する街の照り返しがマックスとゴドレイ星人に映える。いいなあ。

 キーフが遺していったネリル語の「サー・ヌーシュ」、憧れ。「憧れが僕らの手足を動かす」。まるでネイティブ・アメリカンの言い伝えのような香りを放つこのセリフ。

 もっと盛り上げて感動巨編にできたような気もするが、意外と淡々と進んだ今回。しかし、提示されたもののスケールは大きかった。

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